藝術の書架

日々の文化探訪

バウハウスの歴史を超ざっくり辿る。~マグダレーナ・ドロステ著『bauhaus』を読んで~

 

https://www.amazon.co.jp/Bauhaus-Bibliotheca-Universalis-Bauhaus-archiv-Berlin/dp/3836565544より引用。

 先日読了したこの本。バウハウスの歴史の本って結構あっさりとしか語られないものがなんとなく多い気がしていたところ見つけた一冊。絶版なので古本屋やヤフオク、メルカリなどを探してようやく購入できました。英語版ならすぐ見つかりますが、日本語版はなかなか手に入りづらいです。

 

 そして読んでみるとやっぱり面白い。1919年、右翼と左翼が拮抗し、さらに右翼の中でも分裂が起きるなどかなり政治的に不安定だったワイマール共和国に誕生したバウハウス。初代学長はヴァンデヴェルデから引き継いだグロピウス。ヴァンデヴェルデは外国人という理由で離れざるを得なかったので当時の時代の不安定さがここからも窺える。

 開校当初、大きな位置を占めていたのはイッテンだったようだが、そこに対立するようにやってきたのが"デ・ステイル"の一員のドゥーズブルク。今まで表現主義だったバウハウス構造主義の光をもたらしここら辺から、お、バウハウスぽいぞ。(少し偏見かも)となっていく。そしてイッテンはバウハウスを去り、後任としてやって来たのはモホリ・ナギ。そしてクレーやカンディンスキーもこの辺りでやってくるようだ。彼らは立体を使った授業。物の形をとらえるような授業を行った。

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マグダレーナ・ドロステ著『bauhaus』より引用

 

このような、図形を組み合わせたような形の製品が生まれたのも彼らの授業の功績なのだろうか。

 

そしてかなり割愛することになるが、1924年にはワイマールの選挙結果で右翼が圧倒的勝利を収めたために共産主義、ボリシェヴィズムと見做されていたバウハウスは閉校に追い込まれる。

 

そしてバウハウスの校舎の建築で一番有名であろうデッサウのバウハウスが生まれたのだ。

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なぜ、バウハウスはデッサウに移ったのか?それはさまざまな理由があるが、私がとりわけ面白いと思ったのが当時デッサウは住宅不足という問題を抱えており、それの解決のためにバウハウスを呼んだというのだ。その証拠とかデッサウ移転後にバウハウスによってテルテン団地が作られている。

 

 そして1925年には後の学長、マイヤーが招聘され念願の建築学部が設立される。バウハウスはそれこそ建築の家という意味で最終的には建築を学ぶための学校として建てられたのにも関わらず(グロピウスはバウハウス設立前の『バウハウス宣言』で芸術家と職人が協力して「未来の建築」を作ることを謳っている。)建築学科設立には6年もかかってしまったようだ。またそれと同じ頃にバウハウスは造形大学の肩書を得た。ここで今まで使われていた今でいうゼミのような物を工房と呼んだり、教授をマイスターと呼んだり、学生を徒弟と呼ぶのは廃止となった。この工房と呼んでいたりするのはバウハウスがアーツアンドクラフツに起源を持つのをかなり確信的なものにしてくれるので面白い。正直バウハウスはかなり近代的なデザインすぎるのでアーツアンドクラフツとの繋がりが見えづらかったのだが、他にもモデルハウスを壁紙までバウハウス製品で揃えたり、家を総合的な芸術として捉えた点などかなりアーツアンドクラフツ的なのだ。

 

 そしてまた時は過ぎ、マイヤーが学長となる。マイヤーは共産主義への傾倒が激しく、またバウハウスが政治的に影響されやすかったのもあり、後に罷免されるが、彼はデザインの過程を体系立て、科学的な裏付けを持って理論的にデザインを考え、それを確立した点で特筆に値するという。確かに、これは現代では当たり前のことだ。そしてマイヤー時代には今までどこにもなかった広告を専門に扱う工房ができたらしい。考えてみればバウハウスタイポグラフィや広告デザインも有名だ。

 

 そしてマイヤーの後任としてローエがやってくる。彼はかなり権威主義的でバウハウスを一時閉鎖、カリキュラムを完全に刷新し(これまでも何度かカリキュラムは刷新されている。)、マイヤー派の学生を追放した。いや、怖すぎる。この先生…。

 

 ローエはこれまでのバウハウスとは異なる非政治的な学校を目指した。事実マイヤー時代は共産主義グループの学生とそうでない学生の間で分裂が起きるなど大変だったそうだ。そういう政治に関心を持ってる学生がいたのも、不安定な政治下、そして第一次世界大戦後のヨーロッパならではなのだろうか…。 

 

 共産主義学生は次々に追放されたが(今やったらかなり批判されるだろうな…。すごい。)、しかしローエの奮闘も虚しく、ヒトラーから共産主義的だとして結局廃校に追いやられてしまうのだった。恐らく政治によって多くの学生が学ぶ機会を失ってしまったと考えられる。学ぶのは自由で誰にでも機会が開かれているべきだ。現代でもそう感じてしまう事件をたびたび見かける。悲しいことだ。(↓バウハウス閉校の直前あたりに作られたと思われるコラージュ。ナチスが校舎を踏みつけて進んでいるなんとも風刺的な作品)

 

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マグダレーナ・ドロステ著『bauhaus』より引用

 

 バウハウスの歴史は本当にドタバタで面白い。構成する教授によってその色を変えていく。さらに今じゃ考えられないことがたくさん起こっている。(政治信条によって学校追い出される、女子生徒は半強制的に織物の工房に行かなければならないなどなど)カリキュラムを見ても面白い。体育もやっていたそうだ。そして最後に一つ思うのはバウハウスはドイツだからこそ成立したのだということ。アーツアンドクラフツはドイツでは機械の導入が積極的に図られ、ドイツのアール・ヌーヴォーであるユーゲント・シュティールは幾何学的要素を持ち、実際ユーゲント・シュティールに影響されたバウハウス製品も多い。詳しく知りたい人はぜひこの本を手に取ってほしい。語りきれないその歴史の面白さが詰まっている。図版も多く楽しい。